近 況 2026年4月5日

 2026年4月4日、「石川一雄さんに再審無罪を!市民の集い」が市民プラザ加須で14時~16時30分まで開かれた。主催は「北埼玉地区狭山裁判を支援する市民の会」。講師は解放新聞埼玉支局編集長・片岡遼平さん。議題は「災害支援活動と部落解放運動ー部落問題と私の被差別体験ー」
1994年12月21日、31年7か月ぶりに仮出獄した一雄は、翌1995年1月1日に飯能市の顔振峠に「初日の出」を見に行った時のことをよく話してくれた。「小学生だった遼平さんと、お父さんの片岡明幸さん(現・埼玉県連委員長・現・部落解放同盟副委員長)と一緒に行った。」と言っていたので3人で行ったのかと思っていたら、今日の遼平さんのお話で、車2台で、たくさんの人と行った事を初めて知った。まだ出て1週間なので、他の人の名前もわからなかったのだろう。86年の生涯で多分たった一度の「初日の出」を見に行った感激の一日だったのだろう。何度も 何度も話してくれた。山の上で、遼平さんから「あの辺が新宿で『あれが東京都庁だ』と教えてくれた」とも言っていたなぁ。
彼のお母さんの令子さんは2009年にお亡くなりになった。その2週間位前にお見舞いに行ったとき、彼女が「私の青春は狭山が勝利しないと終わらない。でもこれからは満天の星になって見守っているからね」と話されたことを思い出す。今頃は、一雄と一緒に満天の星になって狭山の闘いを応援し、見守っていてくれているのだと思う。
2時間の講演だったが、時間はあっという間に過ぎ、時間が足りなく感じた。彼とは30年近いお付き合いだが、本当にステキな青年だ。
会場まで行くのに車で1時間くらい。所沢のえっちゃん、近くの田中さん、そして県議の中川さんから「加須まで一緒に車で行きましょう」と声をかけて頂いた。ありがとうございました。感謝感謝でした。

 4月1日、内科の毎月の診察
 3月31日、本部からビデオメッセージの撮影と、歯科に(一週間に一回)。

     

 3月28日、一雄のお母さん(リイさん)が1987年に亡くなって39年。28日は月命日。
 3月27日、20日ほどパソコンのメールが出来なくなっていた。やっとメールができるようになった。
 3月26日、一か月に一回の眼科に。眼科では半日かかる"(-""-)"
 3月25日、一雄が残した膨大な短歌の整理にAさん、Mさん、Nさんが来て下さった。やっと目処が就いた。整理を手伝って下さったNさんから写真「鶯声忌」を頂いた。